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第24回東海道シンポジウム

吉原宿大会報告


開会セレモニー

 第24回東海道シンポジウム吉原宿大会が、平成23年10月8日〜9日に掛けて、静岡県富士市の「ラ・ホール富士」において開催された。

 各宿場では秋祭りが多かったにもかかわらず、地元富士市の皆様も含め約200人の参加者があり、多目的ホールもほぼ一杯になった。

 今年は東海道すべての宿場で落語リレーをやり、テレビで「水戸黄門」にも出演した落語家桂歌助氏が総合司会に登場、元NHKアナウンサー渡辺やよい氏が アシスタントの名コンビで会が進められた。

 堀江副理事長(品川宿)の開会挨拶、松山理事長(土山宿)の挨拶に続いて、鈴木尚富士市長が地元を代表して歓迎の挨拶をされた。市長は本大会のパネル ディスカッションのテーマである「東海道“食”のまちおこし」に触れ、地元の食の話も交えて、各宿場参加者にエールを送った。

 続いて恒例の「旅路の像」伝達式が行われ、参加者全員の拍手の中で昨年の四日市宿より吉原宿の藤田文峰氏にずっしりと重い「旅路の像」が引き渡された。



基調講演 「吉原宿の変遷と宿場の特徴」
講師 駿河郷土史研究会相談役
元宿場研究部会長 渡辺誠氏

基調講演の概要
 ・・・吉原宿は高潮、津波などで資料が殆ど残っていない。「田子のふるみち」は貴重な資料。・・・
 
 吉原宿の歴史は「田子のふるみち」という、姉川一夢によって享保18年(1733年)に書かれたと言われる書物によって知ることができる。
 書かれたと言われる書物といったのは、原本が見つからず、写本しか残っていないからである。 
 私は11冊の写本を集めて研究中です。研究途中だが原本も姉川一夢ではない人が書いたのではないかと思っている。

 吉原宿は80年足らずで2回も移転をした宿場である。2度の宿場の移転は、東海道では新居宿と吉原宿だけではないか。
 はじめの宿場は吉原湊付近にあり、日頃砂が家の中に舞い込むような状況の所であった。寛永の地震で高潮に遭い移転をするが、ここもまた大津波で壊滅的な 状況になり、再移転を余儀なくされた。
 宿場の移転だけでなく吉原をめぐる東海道の道筋は5回も変わっている。
 新しい土地に移った宿場は、整然とした町並みであったが、回りに農地が無く本宿の石高は101石しかなかった。沼津宿が2200石余、三島宿が2600 石余であったことと比較すれば宿駅経営が大変困難な宿場であった。
 そこで宿場の運営は、宿付きの村や加宿の援助で成り立っていた。そのため中吉原宿時代には、地方5カ村が宿場の運営に係わり、新吉原時代の正徳4年 (1714)には伝法村が加宿を命じられた。文化2年(1805)までは本宿と加宿村の両方に問屋場があった。

・・・吉原宿の変遷・・・

(元)吉原宿時代
 1、慶長6年に、今の東海道線の吉原駅付近から東にかけて存在した吉原村と今井村の2カ村によって出来上がる。
 2、荷物の次宿への継ぎ送りをする人足100人、伝馬100匹態勢が求められた頃、津波・高潮と砂の被害で寛永16年(1639)に宿場の場所を変え る。(元)吉原宿の資料は流され、宿場の状況も分かっていない。

(中)吉原宿時代
 1、寛永16年(1639)宿場は現在の依田橋付近につくられる。
 2、しかし延宝8年(1680)の大津波で壊滅。町名は一部判明したが、本陣、脇本陣など宿場の実態は不明である。

(新)吉原宿時代
 1、延宝8年(1680)の台風と高潮により現在の吉原宿が2度目の移転を経て成立する。
 2、天和2年(1682)の新吉原宿の町並の記録はある。
 3、文化2年の大火で宿の大半が焼失し、多くの資料が失われた。しかし宿場の様子は、文化2年の吉原宿焼失家数名前書上帳によりよく解る。

 ・・・天保年間(1830年代)の吉原宿・・・
 1、本陣(下本陣) 長谷川八郎兵衛(中本町・392坪)
 2、本陣(上本陣) 神尾六左衛門(西本町・340坪)
 3、脇本陣     野口佐助(東本町・126坪)
 4、脇本陣     鈴木伊兵衛(中本町・164坪)
 5、脇本陣     杉山平左衛門(中本町・116坪)
 6、矢部脇本陣(文化2年(1805)以後廃業
 7、旅籠      60軒(文化2年には107軒)

 ・・・吉原宿をめぐる東海道の変遷・・・

 1、東海道が吉原宿の変遷によって部分的な変更も含めると5つの道路が考えられる。
 2、はじめの道路は宿場が海岸沿いにあったので、海に近いところを通っていた。
 3、津波、高潮などで宿場が海岸から離れると、道もまた海岸から離れていった。

・・・間の宿・・・

 1、間の宿は通称のようで、静岡県では東部地区の市町村史に間の宿の記述が見られるが、西部では殆ど見られない。

 2、間の宿「柏原」(原宿と吉原宿の間)
    浮嶋本陣と9つの茶店があった。

 3、間の宿「本市場」(吉原宿と蒲原宿の間で吉原寄り)
    白酒が名物として紹介されているが、古文書等の資料は残っていない。

 4、間の宿「岩淵」
    富士川渡船を業務とする村で、現在町並みの面影と一里塚が残っている。
    富士川の増水で、馬が1週間くらい足止めされることがあった。元の宿へ戻れと言っても後からの旅人がいて無理だった。間の宿の必要性があった。


パネルディスカッション
テーマ「東海道“食”のまちおこし」
パネリスト
  品川宿 佐藤亮太氏(広告代理店。人力車を作り、車夫としても活動。まちおこしに取り組んでいる。)
吉原宿大会 東海道シンポジウム 開催 記事






 

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